沈黙が、私を支える。


by aoinote101

人の心の危うさ

 以前、「らぶばとん」が回って来た時に、“同棲してみたいか?”という質問がありました。私的には、同棲はありえないと答えました。一緒に住む時には、「結婚」してからでなければ無理だと…。古風な考えとか、そういうのとも少し違います。
 私の場合、一緒に住むには「覚悟」が必要だと思ったのです。その「覚悟」が「結婚」という形。結婚は恋愛と違って、「家庭を共に作る契約」だと思うからです。覚悟をもって結婚できないと、簡単に離婚しちゃうような気がします。
同棲なら、簡単に出て行けるでしょ?結婚していない人は、簡単に浮気もするでしょ?みんながみんなそうじゃないと思うけど。(同棲から幸福な結婚に発展する本物の愛を掴んだ人も多いですが…)

 恋愛にドライな見方をしてしまう私は、その場の愛の言葉を信じません。「好きだ」とか「愛している」という感情に嘘はなく、「君を傷付けない」と誓う心にも嘘はなく、そう言って抱きしめる気持ちは「本物」でも、「本物」が変化していくのを止めることはできない。その変化を責めることもできない。人の心は危ういものなのだと知っています。もし、永遠の愛を誓ったのに裏切られたと泣く友がいたら、「永遠の愛」の定義を聞きたい…。たぶん、それは、身勝手な解釈。
 結婚して愛の形が変化しても…その後、他の恋をしても…「結婚」という契約は消えない。そして、それが、人生の基盤になっていれば、やはりその「結婚」には愛があるのだと思います。
 だから、私は「らぶばとん」で、“こんな人は絶対無理!”という項目に妻子持ちと答えたのです。「結婚」している人は、人の心の危うさを繋ぎとめる鎖を妻が持っている。そんな人の心を、自分には繋ぎとめる術は、基本的には存在しないから…最初から何かを諦めて、割り切っていないとボロボロになるでしょ?ボロボロになる覚悟の恋もすごいことだと思うけど…本物の恋なのかもしれないけど、そういう真剣な気持ちの先は行き止まりだったりする。残酷な結末に向かっていたりする。

 そして、「この結婚が正しかったのか?」と自問することがあったとしたら、それは、死ぬときにしかわからないと思います。死ぬときに、相手に「ありがとう」と言えるかどうか…。それが、たとえ「離婚」してしまっていても…。「離婚」したからといって、その「結婚」が失敗だったとは言えないのではないかと思うのです。
 死ぬときに、「ありがとう」が言える人生は幸福…でも、きっとそう言えるには、多くのことを「許す」という苦しみを超える必要があるのだろうな…。
自分を傷付けた人も許せて、自分の嫌なところも許せて…。

 こうやって書いてるけど…難し過ぎて、たぶん自分の中では、本当に理解なんかできていない。

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by aoinote101 | 2005-08-11 09:52 | 詩・雑感