日本テレビで最終回の視聴率が25.3%を記録したドラマ「女王の教室」のDVDレンタルを待っていた私。オンエア中はたった一回しか見たことがない(笑)ぶっ通しで見ました。
無茶しました(汗)
オンエア当初、内容の過激さや、それに伴う視聴者からの批判などを受け、途中からスポンサーが提供クレジットの社名を流すことを止めたといういわく付きのドラマ。(以下、ネタばれ含む)

確かに、過激といえば過激なのかもしれない。でも、私は第1話から違和感なく入り込めた。恐怖感によって「出来ない子」を虐げ、「出来る子」を優遇するやり方に、たった一人、自分の言葉で反論する子どもに向けられた鬼教師「真矢」のまなざしは、まるで眩しいものを見るようだった。彼女の当初からのこのような演技は、真矢の胸の奥に隠された真意を示唆するもので、真矢に対して反感を持つ気にもなれなかった。
事実、彼女が子どもに語る、世の中の不条理や厳しさはある意味「真実」ばかりだったし、子どもだからといって将来、何の武器にもならない「きれい事」ばかりを語ることのほうが、残酷な教育だと以前から感じていた。
ドラマの展開の中では、
「弱いものを助ける」などという、一見当たり前のようなことが、実はとても勇気が必要で、時には自分自身が巻き込まれてしまうかもしれないほどのリスクも潜んでいること。
いい加減な「団結」とは、それぞれの利害の上に成り立っていて、いざとなったら簡単に裏切られることがあること。
人は自分の不幸や不平を、誰かのせいにして納得せずにはいられないこと。
など、沢山の人間の弱い部分を見せ付ける。それは12歳の子どもだからではなく、弱さを抱えた人間なら、大人だって経験するに違いない。そして、そういった経験をせずに一生終えることの方が、きっと難しいのだろう。
そして、子どもたちは、自分がどれほど弱いのかを実感し、打ちひしがれる。
真矢言うところの、「子どものおこす奇跡」はそこからなのだ。
厳しい現実を受け止め、弱さゆえに過ちを犯した友を許し、自分の正しいと思うことを行うには、強くなることしかないと気付く。
当初から、真矢のやり方に反発してテストや授業をパスすることで、解決を見ようとする生徒が登場する。
「真矢の担任になった、この1年パスすれば…」
と、言う。テストや授業はパスできても、つらいからといって「人生」はパスできない。授業をパスせずとも、真矢のやり方に納得できないにも関わらず、恐怖ゆえひたすら耐えることも、逃げていることと同じなのだ。
そのことに気付き、強くなりたいと望む子どもたちは、大切なものを学んだ。そして、彼ら自身「何かを学んだ」ことに喜びを感じ、さらに「成長したい」と心から思うのだ。
ここで、彼らは、真矢は良い先生なのではないかと疑問を持つ。ドラマの展開はそのように進むが、非常に重要なセリフがある。
「先生が良い先生なのか、悪い先生なのか、そんなことは、もうどうでもいい。もっと真矢から学びたい」
つまり、人生で遭遇する苦難は、自分を成長させようと誰かが与えているのではなく、たとえ悪意によってもたらされるものでも、それを乗り越えることで自分は成長する。そして苦難を乗り越えられた時に喜びを味わえる。それは、自分の人生を豊かに生きるという真理に結びつく。
真矢自身、自分の教育を全うするために、身を粉にして努力し傷つき、理解されずに追われる。たとえ、その時に子どもたちがどんなに真矢を求めていたとしても。
つまり、子どもに真実を学ばせるのは、簡単ではないこと。覚悟が必要なことを語っている。
とても面白いドラマだと思った。真矢の後姿に子どもたちが「仰げば尊し」を歌うシーンは涙が出た。それでも、涙を見せない真矢に「かっこいい!」とまで感じた。
ただ、世の親はこのドラマを見て、「こんな先生いたら良いよね」などと言ってはいけないのではないかと思う。本来、子どもに対してここまで覚悟を持って子どもの教育をせねばならないのは「親」ではないかと……。そして、「親」こそが 「子どもの起こす奇跡」を見届けることの出来る存在なのではないのかと。
実はそれは、何にも代えがたい幸福に違いない。眩しいものを見る幸福に違いない。